近代史を明治維新以降とするなら、この時期には、日本には医学教育自体が不明瞭で医師・歯科医師制度はありませんでした。

歯科について言えば、入れ歯の歴史は、かなり古くからあり、平安時代、江戸時代には、つげの木で入れ歯をつくる人たちがいました。

明治26年7月1日、日本歯科医師会は警視庁に認可されました。その後、明治39年(1906年)に日本総合歯科医師会として、帝国議会で認められています。

1900年頃には歯科医学専門学校が設立され、歯科医師の育成が始まりました。医学教育が新興国のドイツ医学を手本としたのに対して、歯科医学はアメリカ式の歯科学(Dentistry)を導入しました。

欧州では、口腔科(Stomaology)でした。

大正9年頃(1920年頃)までは、口蓋補綴科、一般治療、ポーセレン科、口腔外科、矯正科、抜歯科など、14もの標榜科名が歯科には認められていました。

戦後、昭和23年(1948年)歯科医師法と医療法の改正により、現在の歯科医師の原型が形づくられました。歯科医の養成も米国の教育が取り入れられました。

現在、歯科の標榜科名は、歯科、小児歯科、矯正歯科、歯科口腔外科の4標榜です。しかしながら、これらは資格や経験の有無に関係なく標榜できるために、その歯科医の臨床能力を客観的に示していません。

そのため、小児歯科専門医、矯正歯科専門医、口腔外科専門医などの「専門医」制度の確立が急がれているのです。