(1)訴訟開始

 送られてきた訴状の原案を読んで、最後の打ち合わせに、私一人で弁護士事務所を訪れた。弁護士は、会うなり「昨日の朝刊よみましたか。熊本地裁でPTSDの判決がでていますよ。スポーツ選手と県議の話ですよ。賠償額が300万円でしたけどね」。
 私は知らなかった。後日、この新聞記事(平成9年6月26日)を探すために、図書館の倉庫の中の新聞をかき回した。
 時効成立を目前にして、相手の男に裁判所から訴状が送達された。私は、「ざまあみろ」、という心境だった。



(2)通学時の保護

 私は相手の男が訴状を受け取ったので、通学途中で待ち伏せされるのではないかと心配した。Aさんのお父さんに電話して、電話の会話を録音しながら、「娘に近づいてみろ、ただではすまさないぞ、警察にもすでにお前のことは通報している。警察はお前を内定調査しているぞ」と言って、脅すようにお願いした。お父さんは、それを実践された。相手の男は、「そんな馬鹿なことはしません。裁判だけはやめてもらえませんか」と言った。その声は録音されている。



(3)第1回弁論

 訴状が送達されてから2ヶ月後に、第1回弁論が行われた。直前になって相手の男から、反論の準備書面がでてきた。まったく内容のない文面だった。こちらの項目について、それぞれについて「争う」「争う」とだけ書いてあった。
 裁判官は2週間以内に具体的な反論を提出してくださいと言われた。1ヶ月後に第2回弁論となった。あっと言う間に第1回は終わった。
 裁判所に行く時、あの男が来てるのではないかと思っていた。会ったら、どうしたものかと考えていた。怒鳴り付けてやろうか。襟首くらい掴んでやろうか。それとも、侮蔑した視線にしようか。だが、来ていなかった。傍聴人は私一人だった。
 裁判官が若い女性であることに驚いたし、これは、いけるかもしれない、と内心嬉しかった。後日、新聞社の方から、女性の裁判官は、女性については男性以上に厳しいから、私に安心するのは早いと言われた。
 相手側の弁護士は、どんな人だろうという気持ちもあった。年配の方だった。警察から、ヤクザなどの弁護をよくされる。弁護料が高いという噂を聞いた。また、別の人からは、御本人はまともな方だが、やはり、ヤクザの弁護が多いという話を聞いた。その後、何度か裁判を傍聴した後の私個人の印象としては、噂で聞いたような悪い印象を持っていない。むしろ、そうした噂の方が、偏見に満ちているような気がする。



(4)平成9年9月5日午前1時38分

  第1回弁論の数日後、私のポケベルにメッセージが入っていた。「センセイニ アエテ ホントニヨカッタ」。
  私は、このメッセージを消えないように保存している。