(1)過食と希死念慮

 Aさんを見ていて気になったのが、過食と希死念慮だった。加害者との関係が始まって早い時期から、過食し、指をのどの奥に入れて吐き、叉、過食するという症状がでていた。彼女の友人からも、ものすごく食べて、吐いて、また、ものすごく食べ始める。見ていたらおもしろいという話も聞いた。
 そして、1年半の間に6回の衝突事故。車を2台廃車にしていた。左右確認もせずに交差点に飛び込んでいく、当然、衝突する。「死んだら死んだで、よかった。死んだ方が楽かもしれない」。「二十歳までに死にたかった」。そんな言葉を口にして、衝突事故を繰り返していた。死んでいないのが、おかしいくらいだった。
 ただ、私には、この事故に関しては、彼女に言いたいことがあった。死にたくなる気持ちは気の毒に思うが、ぶつけられた方はいい迷惑だということ。いつか、このことを分かってくれたらと思う。



(2)精神科を受診させることのためらい

 精神科の受診歴を持つということは、もし、それが発覚すれば、結婚に支障をきたすかもしれないと心配した。でも、彼女の精神状態は、私の目からみても、ただごとではないように思えた。私は面識のある精神科医に、脅迫され性的な虐待にあって過食症をおこしているみたいだと相談した。
 その精神科のB医師は、「悪夢を見ることが有るか無いか、聞いてみてください」。そういうふうに、言われた。Aさんに聞いてみると、出来事の悪夢をみるという。夢をみるのが怖いから寝るのが嫌で、ビールやお酒を寝る前に飲んで酔って寝るという。B医師にその旨回答すると、「PTSD(資料8)かもしれないですね」と答えられた。
 私は「PTSD 」がなんのことかわからなかったが、医局に帰って医学略語辞典をみれば分かるだろうと思って、わかったような顔をして帰ったが、なんのことだかわからない。また、B医師のところまで行って、PTSDについて説明してもらった。だが、その頃の私には、まだPTSDの意味が理解できていなかった。どうして過食症と診断しないのだろうと少し不満だった。
 B医師は、本人が望むなら診察しましょうかと言ってくれた。ただ、「治療は、私には無理だと思う。この病気を扱える医師は、東京へでも行かないといないと思う。自助グループに参加されるのが一番いい」と言われた。この時、「自助グループ」という言葉を初めて聞いた。

資料8【PTSD(Post Traumatic Stress Disorder 外傷後ストレス障害)】
                                
 本人の意志に反した性行為によってPTSD(外傷後ストレス障害)と呼ばれる精神的障害を受けていることがあります。(「トラウマ 心の後遺症を治す」、ディビッド・マス著、講談社、1996年刊)。 PTSDには、単純型PTSDと複合型PTSDがあります。地震などの単発的心的外傷では単純型PTSDを発症し、繰り返し心的外傷をうけた場合には、複合型PTSDを発症します。自己の意志に反した性行為を繰り返し受けた場合は複合型PTSDを発症します。
 摂食障害は、思春期などの色々な因子がからんできますから、性行為との因果関係だけをと主張できません。しかし、PTSDと診断されれば、他の因子によるものではなく、出来事との因果関係が明らかですから、意志に反した性行為が存在していたことが立証されます。
 平成9年6月24日の熊本地裁での判決では、原告が臨床心理士によってPTSDと判断されていたことが勝訴の一因となりました。



(3)精神科受診

 受診させるべきかどうか随分迷った。過食症や希死念慮を放っておくわけにはいかないし、もし、過食症と診断がつけば、裁判の資料に使えるかもしれないと思った。Aさんの父親をまず説得した。そして、本人に過食症を治しておいた方がいいんじゃないかと精神科受診を勧め承諾された。
 B医師に、診察の予約をとった。診察の前日、明日、伺いますから宜しくと挨拶すると、「PTSD は、阪神大震災の時でも2〜3%しかPTSDと診断されなかったんです。診察してもPTSDと診断できないかもしれません」と、少しがっかりするような所感を述べられた。
 B医師は、以前1例PTSDの患者を診察したことがあると言われた。稀な疾患なので、診断を確かめるために、PTSDを何例か診察された医師のところまで患者に行ってもらって診察を受けさせ、自分の診断が正しいことを確かめた経験があるという(資料9)。
 診察の際に、B医師は、私に「診察に同席してもらいたい。初対面の私だけでは、話せないだろうし、あなたがいてくれた方が安心されると思う。訴訟になる可能性があるようだから、診察の録音テープをとりましょう」と提案された。

資料9【トラウマを扱える医師】
                                
 精神科医なら誰でもトラウマ(心的外傷)を扱えるわけではありません。PTSDは、稀な疾患です。裁判では、その医師が、これまでPTSDの患者を診察したことがあるか、医師としての経験は十分かが問われます。PTSDやトラウマに関しての学問的な資料の提出も必要となります。
 医師の選択は、既存の支援グループや親しい精神科医に相談されないとわからないことだと思います。この選択がうまくいくかどうかは、裁判を左右する重要な問題です。



(4)PTSDと診断される

 診察を終えて、B医師は、PTSDと診断された(資料10)。私は、診断されたことに安堵した。その一方で、過食症のことが、まだ理解できないでいた。あれだけ過食するのに、どうして診断できないのか、聞いてみた。すると、B医師は、「PTSDと過食症は、猫とクジラほど違う疾患です」と、わけのわからない「たとえ」をされた。何が猫で、何がクジラなのか? かえって分からなくなった。この患者の過食や希死念慮は、PTSDの一つの症状であって、通常の過食症とは違う。それだけを取りだして診断するものではないという意味らしかった。

資料10【DSM-IV のPTSD診断基準】
  PTSDの診断基準には、1994年にアメリカで公表された「DSM-IV 精神疾患の分類と診断の手引き(医学書院)」が用いられます。以下の条件を満たせばPTSDと診断されます。
A. 患者は、以下の2つが共に認められる外傷的な出来事に暴露されたことがある。
  (1) 実際にまたは危うく死ぬまたは重症を負うような出来事を、1度または数度、または自分または他人の身体の保全に迫る危険を、患者が体験し、目撃し、または直面した。
  (2) 患者の反応は強い恐怖、無力感または戦慄に関するものである。
 注)子供の場合はむしろ、まとまりのないまたは興奮した行動によって表現されることがある。
B. 外傷的な出来事が、以下の1つ(またはそれ以上)の形で再体験され続けている。
  (1) 出来事の反復的で侵入的で苦痛な想起で、それは心象、思考、または知覚を含む。
 注)小さい子供の場合、外傷の主題または側面を表現する遊びを繰り返すことがある。
  (2) 出来事についての反復的で苦痛な夢。
 注)子供の場合は、はっきりとした内容のない恐ろしい夢であることがある。
  (3) 外傷的な出来事が再び起こっているかのように行動したり、感じたりする(その体験を再体験する感覚、錯覚、幻覚、および解離性フラッシュバックのエピソードを含む、また、覚醒時または中毒時に起こるものを含む)。
 注)小さい子供の場合、外傷特異的な再演が行われることがある。
  (4) 外傷的出来事の1つの側面を象徴し、または類似している内的または外的きっかけに暴露された場合に生じる、強い心理的苦痛。
  (5) 外傷的出来事の1つの側面を象徴し、または類似している内的または外的きっかけに暴露された場合の生理学的反応性。
C. 以下の3つ(またはそれ以上)によって示される、(外傷以前には存在していなかった)外傷と関連した刺激の持続的回避と、全般的反応性の麻痺。
  (1) 外傷と関連した思考、感情または会話を回避しようとする努力。   
  (2) 外傷を想起させる活動、場所または人物を避けようとする努力。
  (3) 外傷の重要な側面の想起不能。
  (4) 重要な活動への関心または参加の著しい減退。
  (5) 他の人から孤立している、または疎遠になっているという感覚。
  (6) 感情の範囲の縮小(例:愛の感情を持つことができない)。
  (7) 未来が短縮した感覚(例:仕事、結婚、子供、または正常な一生を期待しない)。
D. (外傷以前には存在していなかった)持続的な覚醒亢進状態で、以下の2つ(またはそれ以上)によって示される。
  (1) 入眠または睡眠維持の困難。     
  (2) 易刺激性または怒りの爆発。
  (3) 集中困難。
  (4) 過度の警戒心。
  (5) 過剰な驚愕反応。
E. 障害(基準B、C、およびDの症状)の持続期間が1か月以上。
F. 障害は、臨床的に著しい苦痛または、社会的、職業的または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。
    該当すれば特定せよ。
 急性:症状の持続期間が3ヶ月未満の場合。
 慢性:症状の持続期間が3ヶ月以上の場合。
    該当すれば特定せよ。
 発症遅延:症状の始まりがストレス因子から少なくとも6ヶ月の場合。
                   


(5)診断書を警察へ送る

 警察へ行ってから、すでに3週間近く経っていた。なんの連絡もなかった。私は、診断書のコピーを警察へ送った。B医師の話では、あの男との出来事とPTSDとの因果関係は明らかであると言われていた。それでも警察からの連絡はなく、Aさんの父親と二人で、再び警察署を訪れた。警察は、内定調査に着手していてくれていた。私に関する資料まであった。しかし、私は、その時の感触で、これは刑事事件にはなりそうもないなと思った。



(6)県児童虐待ネットワーク

 B医師は、PTSDの診断の後、上司の精神科医師に相談された。B医師の上司は、県児童虐待ネットワークの顧問精神科医師をしていて、事情を聞くと、すぐに、顧問弁護士に電話してくれた。弁護士と相談すると、時効は3年しかないらしく、その3年目がもうじきなので早くした方がいい、私に、弁護士にすぐに電話するようにと言われた。
 この時、日本では、18歳未満は「児童」になることを初めて知った。彼女は、被害当初、17歳だった。