(1)親に打ち明ける

 Aさんに「親に自分から言えるか」と尋ねると、Aさんは、「自分からはとても言えない」と言う(資料1)。しかたないので、私はAさんの自宅を訪れ、Aさんと両親を前にして事情を説明した。話をしていくうちに、父親の顔色が変わったのがわかった。Aさんは、そばで目を腫らしながら、泣きじゃくっていた。

資料1【なぜ親に言えないのか】

 警察の話だと、ほとんどの被害者は、学校に知られるよりも、親に知られることを恐れていると聞きました。この事例のように「親にばらすぞ」と加害者から脅されて、それが怖くて関係を続ける、という理解しがたい状況が現実にはあるようです。



(2)警察の下見にいく

 私は警察へ行くように説得したが、両親は世間体を気にしてためらっていた。本人は警察へ行くことを承諾しているので、こうなると、親には内緒で行くしかないと思った。だが、警察の敷居は高かった。ある日、警察に少年課(資料2)の下見にいった。署内を探しても、どこにも「少年課」の表示は見当たらなかったので、どこに行けばいいんだ、と思いながら、呼び止められないうちに、結局わからないままに、そうそうに退散した。

資料2【少年課と少年係】

所轄署では、少年課ではなく、生活安全課少年係で、県警では、生活安全部少年課となっています。  



(3)ヤングテレホンに電話

 下見に行って、警察にいくにはかなり勇気がいると思った。正直なところ、とても行けそうになかった。友人にどうしたらいいだろうと相談したら、高校の教師をしている奥さんに電話してくれて、「ヤングテレホン」の電話番号を教えてもらった。
 すぐに電話して、事情を説明すると、電話の応対にでた年配の女性が「その男のことなら、警察はだいたい把握していますよ。お嬢ちゃんとここに来てみませんか。ここは少年課です(資料3)」と言われ、私は、小躍りするような気持ちで、Aさんに、もう警察はあの男のことを知っていたよ、明日行ってみようと誘った。

資料3【生活安全課少年係と刑事課】

18歳未満の場合は生活安全課少年係、18歳以上の場合は刑事課の対応となります。



(4)警察へ行こう

 ヤングテレホンに午後4時に行くと連絡して、それからAさんの母親に電話して、もう会う約束を警察に取り付けたので、明日行きますと電話すると、父親も仕事が終り次第に警察へ駆け付けますと言われ、警察へ行くことに同意された。
 「とにかく、あんな男がこの町にいることだけでも警察へ行って話しておこう」。私は、そう説得してAさんを連れて警察へ行った。しかし、私達はヤングテレホンが県警にあることを知らず、所轄署へ行き、受付の女性にヤングテレホンの方と会う約束をしていると告げると怪訝な顔をされた。少年課の中にあると聞いています、と言うと、それなら2階です。そう言われて2階へ行った。
 部屋に入るなり、視線の鋭いやくざのような怖い顔をした中年の男が、何の用ですか、とねじり寄って来た。これは困ったとしり込みして、ヤングテレホンの方と約束しているのですがと言うと、それは県警の方です。連絡しておきますから、そっちへ行ってくださいと言われ、なにかほっとして、階段を足早にかけおりた。
 県警に行き、ヤングテレホンの担当者に事情を説明すると、告訴する意志があるのですかと聞かれて、はいと答えると、所轄署で事情を聞きましょう。今夜は少年係長が当直ですから、ちょうどよかった。係長から「制服に着替えてお待ちしている。長くなるかもしれないから、食事をしてくるように」と伝言がありましたと言われた。



(5)再び所轄署へ

 食事をして所轄署に行くと、なんと、あの怖い顔をした人が制服を着て待っていた。あの人が少年係長だった。「ここには来たばっかりで、これまで覚せい剤事犯を相手にしとったんです」。なるほど、そうだろうな、と内心思った。
 私が概略を説明すると、女性の担当官が、Aさんを別室に連れていき、事情聴取が始まった。署内に女性の姿が多いのが意外だったし、少し驚いた。Aさんの父親も駆け付けて来られ、応接椅子に座り、係長と3人で話した。
 Aさんのお父さんが、「木刀を車に積んできました。帰りにあの男の家に寄って、ぶちのめしてやろうかと思っているんです」。
 係長「お父さん。あんたの気持ちはよく分かる。私らは拳銃を持ってる。私の娘だったらと思うと、今の私を誰も止められないと思う。ぶち殺してやろうと思う気持ちは分かる。しかし、気持ちは分かるが、それだけはやめなさい」。
 それから係長は、自分で事情聴取をして、私たちの所へ戻って来て、「懲役にしてやらんといかん奴だ。しかし、6ヶ月ちょうどなんですよ。6ヶ月以内に起訴までもっていかんといけない(資料4)。一日すぎてもだめなんですよ」。私は、何のことか分からなかった。
 6ヶ月以上たっているから、強姦では起訴できない。輪姦もされているけど、男同士がお互いを知らない状況でやられているから、もう一人の男を特定できない。条例違反の時効はまだだが、日時がたっているから記憶があいまいだ。場所と日時の特定が困難だと思う。いずれにせよ、かなり悪質なので署内で検討させて頂くし、検事とも相談する。そういう話だった。また、その頃の記録を見て、「この事件は報道されていないな」と言われた。

資料4【時効】
                                
                時効
       強姦      6ヶ月 親告罪  被害届が必要
       輪姦       7年 非親告罪
       条例違反     3年 非親告罪
       損害賠償請求権  3年  

 強姦時効が日本では6か月しかありません。英国では強姦の時効期限はもうけられていません。日本でも6ヶ月では短すぎるので長くしようという動きがあります。時効が6か月しかないことが、強姦の刑事訴訟が非常に少ないことの背景に挙げられています。
 条例違反は、時効3年ですが、単に18歳未満と性行為をしただけでは起訴されません。そこに金銭の授受などが必要となります。



(6)加害者の再接近時の警察の対応

 通学途中で待ち伏せされたら、どうしようかという相談になって、係長は、「また、近づいてきてくれると警察としてはやりやすいんだが。今の時点で、あの男を警察に呼びだして、事情聴取するわけにもいかん。男が来たら、すぐに110番通報してください。署の方に電話してもらったら、この名前の人が電話してきた場合には、事情を聞くことなく直ちに私に連絡をとれ、といった対応をとっておきましょう」。そして、緊急連絡用に短縮ダイヤルに110番と所轄署の番号を入れた携帯電話をAさんに持たせることになった。



(7)起訴・不起訴の検討(資料5)

 警察では、被害者の証言と協力が得られなければ、非親告罪であっても公判を維持できないから、起訴するかしないかは、本人の意思を尊重すると言われた。翌朝の会議でまず署長に報告され、さらに、起訴、不起訴に関しては、警察ではなく、警察官からの報告に基づき検察庁の検事が判断すると説明された。時々、途中経過を問い合わせても、検討中であるとされ、なにも知らされなかった。

資料5【日本で性犯罪を規定する刑法】刑法(旧規定)
                                 
第二十二章 猥褻、姦淫及ヒ重婚ノ罪
第一七六条 十三歳以上ノ男女ニ対シ暴行叉ハ脅迫ヲ以テ猥褻ノ行為ヲ為シタル者ハ六月以上七年以下ノ懲役ニ処ス十三歳ニ満タサル男女ニ対シ猥褻ノ行為ヲ為シタル者亦同ジ
第一七七条 暴行叉ハ脅迫ヲ以テ十三歳以上ノ婦女ヲ姦淫シタル者ハ強姦ノ罪ト為シ二年以上ノ有期懲役ニ処ス十三歳ニ満タサル婦女ヲ姦淫シタル者亦同ジ
第一七八条 人ノ心神喪失若クハ抗拒不能ニ乗シ叉ハ之ヲシテ心神ヲ喪失セシメ若クハ抗拒不能ナラシメテ猥褻ノ行為ヲ為シ叉ハ姦淫シタル者ハ前二条ノ例ニ同シ
第一七九条 前三条ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス
第一八〇条 前四条ノ罪ハ告訴ヲ持テ之ヲ論ス
    ・二人以上現場ニ於テ共同シテ犯シタル前四条ノ罪ニ付テハ前項ノ例ヲ用ヒズ

強姦を規定する刑法は、古い旧規定に属しています。近親姦に対しては、特別に法律を制定している国もありますが、日本では、近親姦に対して特別な法律はありません。



(8)裏付け捜査

 それから1ヶ月くらいして、連絡がないので、こちらからAさんの父親と一緒に警察署を訪れた。行ってみると、関係者の本籍や住所、家族構成などの資料が作られていて、その中には、私に関する資料もあった。経日的な事実関係を示した表まで作られていた。
 犯罪の立証には、場所と日時の特定が最も重要で、裏付け捜査には、かなり時間を要し、結果として膨大な量の資料が必要となる(資料6)。捜査完了には、捜査着手から逮捕、起訴まで、数か月を要する時もあり、緊急性のある事件が発生した場合、そちらが優先され、起訴が遅れることもあると聞いた。

資料6【裏付け資料】

1)場所がラブホテルであれば、ホテルの場所、どの部屋か、部屋の記憶による見取り図、実際の見取り図。
2)被告の車両ナンバーの確認。
3)車両ナンバーと入退室の時間のホテル記録メモ。間違いないという経営者の陳述書。
4)どのような経過でそこに至ったのか、その部屋で具体的にどのような行為が行われたのかに関する被害者の証言調書。
5)被告の経歴、資産状況、家族状況などに関する証言調書。
6)被告の家族などからこれまでの素行を含めた調書。過去における女性問題の有無。
7)家宅捜査で押収した被害者の名前や住所、電話番号などが記載された住所録やメモなど加害者と被害者との関連を示す資料。



(9)警察に説明にいく意義はなにか

 私は、刑事訴訟が不可能な事例でも、警察に事情を知らせる意義はあると思う。まず、そういう男がいることを警察に知らせる意義は大きい。次に、被害者を守る上で役に立つと思う。加害者にとって、警察に知られたということは深刻な状況であり、いつ警察の捜査が始まるのだろうかという不安がでてくる。警察は民事不介入であり、民事裁判とは直接の関連や協力は得られないが、雑談の中で、逮捕歴や余罪についての情報を得ることはできる。それは、民事訴訟に大変に役立つ(資料7)。

資料7【民事訴訟に役立つ捜査資料の開示請求】

 被告に逮捕歴があれば、弁護士が裁判所に開示請求を行い、検察庁から逮捕時の捜査資料の全てを開示し、民事裁判に利用できます。その際、逮捕の日時と氏名が必要になります。



(10)警察からの連絡

 私の携帯電話には、何度か警察から電話がかかってきた。その後のAさんの様子を聞いたり、加害者から何かありましたかとか、こちらの事情を聞かれることがほとんどだった。刑事事件として不起訴となった事情に関しては、その経過について、かなり詳しく説明してくれた。しかし、その連絡があったのは2ヶ月以上たってからだった。警察からの返事を待ってから民事訴訟を起そうとしなくてよかったと思った。
 最後に、電話で「相手は全面否認してきますよ。私は民事の事はよく知りませんが、それを覆すのは大変ですよ」。そう心配して下さった。



(11)警察についての感想

 警察官は、個人としてできる限りの助言や協力をしてくれた。被害者には、本当に同情的だった。私達が、初めて事情を説明に行った時、帰る際には、警察署の前の駐車場まで見送りに来てくれた。女性担当官は、車の側まで来て、Aさんに言葉をかけ、別れる間際まで励ましていた。自分の自宅の電話番号を教え、相談したいことがあったら電話してきなさいと言われたと、後でAさんから聞いた。
 少年係では事件が終わった後も、警察官と長いつきあいになる人たちも多いようで、なにかの節目節目に電話してくる子がいると言われていた。また、そういう連絡を楽しみにしておられた。
 犯罪者の存在を知りながら、逮捕できない悔しさ、いらだちを一番もっているのは警察の人たちではないだろうか。あの夜、事情を聞いた警察官は「懲役にしてやらんといかんような奴だ!」と、一緒になって憤ってくれた。お父さんは、あの言葉を聞いた時、嬉しかったにちがいない。私達は、幸いにして、セカンドレイプと呼ばれるような心無い尋問を受けなかった。むしろ、心暖まるような経験だった。