明治8年〜明治17年   140年前に「口中科」から「歯科」へ

今から140年前の明治17年に歯科医師は医師から離れました。明治維新は誠に面白い時代です。明治8年に第1回医師開業試験が東京、京都、大阪で行われましたが、受験生の小幡英之介(当時22歳)は標榜科名「歯科」での受験を願い出ました。「歯科」という標榜科名の出現です。それまでは「口中科」と呼ばれていました。

小幡の願いは叶い、彼一人のために「歯科」専門の医師開業試験が実施され、東京府第1号の医師(医籍第4号)となりました。彼は「歯科」を専門とする医師であって、歯科医師ではありません。当時の医術の診療科目は、内外科、内科産科、眼科、歯科と規定されていました。

それから9年後の明治17年に、第1回医術開業歯科試験が行われ、青山千代次が第1号の歯科医師です。この年に鹿鳴館が完成しています。140年前の事です。

一人の若者が思いついた診療科名「歯科」が、その後、どのような変遷を経たか、考えてみたいと思います。(令和6年6月28日)


明治の頃、医師は裕福ではありませんでした。

医療状況は今と異なります。まず、医療保険制度がありませんでした。薬代で収入を得る医師。医師は裕福とはいえない時代でした。市中には、漢方医、入歯歯抜口中療治営業者が多数おりました。

医師が高額所得者になるのは、昭和25年の医療法人制度と、昭和36年の国民皆保険制度が端緒となります。(令和6年6月28日)


明治22年〜  漢方医、入歯歯抜口中療治営業者の排斥

西洋医学を取り入れたい明治維新政府は、従来の医療を担ってきた人たちを排斥する方針をとります。そのためには、医師、歯科医師数を増やすための教育機関の増設、医師、歯科医師の団体の設立、そして、法律の整備が必要でした。

明治22年大澤歯科学校開校、明治23年高山歯科医学院開校、明治26年仙台歯科医学校開校、明治27年愛知歯科医学校開校。

明治26年、歯科医会設立。
明治35年、東京帝国大学医科大学に歯科新設。当時の日本には大学は1つだけ、東京大学だけでした。
明治36年、日本歯科医学会創設。

出典:高木圭二郎.わが国における初期歯科医師団体の成立並びにその発展過程の展望.歯学史研究 2:1-11, 1969. (令和6年6月29日)


明治28年〜  一元論、二元論 

明治17年に歯科医師が誕生して10年後の明治28年に歯科医師の育成方法を巡り議論がおきました。

眼科医師であり、日本医事週報主筆の川上元治郎が、一元論を主張しました。それに反論して、二元論を主張したのは歯科医師の血脇守之助(野口英世の金銭援助者として有名。後の日本歯科医師会長、東京歯科大學創立者)です。

一元論(歯科を専門とする医師):医学教育を受けた後に、1診療科として歯科を教育するヨーロッパのstomatologist(口腔科医師)の育成方式。歯科を専門とする医師です。現在、私が直接的に知る範囲では、イタリア、中国、バングラデシュ、ネパールが、これに相当するのではないでしょうか。

二元論(医師と歯科医師):米国歯科大学方式、外科、内科等の医学概論と、基礎医学を教えた後に、歯科の教育を始める。現在の諸国をみると、米国、英国、日本、韓国、フィリピンが該当すると思います。

歯科医師間での論争が続きましたが、歯科医師の多くは米国式の育成方式を選びました。この選択が明治39年の医師法、歯科医師法の制定へとつながります。 (令和6年7月12日)


明治39年 医師法、歯科医師法制定

明治39年、医師法、歯科医師法が制定されます。法律の成立により、漢方医、入歯歯抜口中療治営業者は診療を禁じられ、彼らは消えていきました。

西洋医学によって排斥された漢方医学が見直されるまでには、長い歳月がかかりました。現在、医学部、歯学部の教育過程では漢方医学が教えられています。

明治17年の歯科医師数は2名、医師数は40,880名。

歯科医師はわずか2名でした。

140年後の現在、令和4年12月末時点で、
歯科医師数は105,267名、医師数は343,275名です。


令和4年医師・歯科医師統計の概況

医師・歯科医師数をみると、診療科別では、内科+内科系の医師数117,986名がもっとも多く、歯科87,867名になります。

内科 61,149名
整形外科 22,506名
小児科 17,781名
精神科 16,817名
眼科 13,554名
外科 12,775名
産婦人科 11,336名
麻酔科 10,350名
皮膚科 10,031名
耳鼻咽喉科 9,381名
泌尿器科 7,881名
形成外科 3,207名
病理診断科 2,243名
その他研修医等

歯科 87,867名
歯科口腔外科 4,431名
矯正歯科 4,294名
小児歯科 2,017名
その他研修医等

なぜ、医師・歯科医師の分岐点に興味をもったのかは、これから加筆していきます。(令和6年7月20日)


【コラム1】「日本の歯医者の数はコンビニの数より多い」

令和6年7月27日(土)に開催された高校の同期会。参加者12名。2名を除いて、50数年ぶりに会う人たち。私の自己紹介のあと、一人の方が「日本の歯医者の数はコンビニの数より多い」と発言されました。

コンビニの数との比較を根拠にして、歯科医師は供給過剰と言いたいのかな。イジられるのは好きではないので、それは違う!と、発言を強く遮った。数ではない。人口あたりの歯科医師数が大切なんだ!と。我ながら、大人げない話でした。

人口あたりの歯科医師数は、2022年データで、日本は世界第13位
ドイツ、ノルウェー、スエーデンあたりで、ちょうどいいのではないでしょうか。

 ※本統計の内容で、「口中医を含む」と記載がある。これは、Stomatologist歯科を専門とする医師のこと。
 世界中が、日本のような歯科医師制度ではない。
 さらに言えば、日本の歯科医師は米国とも英国とも、その業務範囲は違う。Stomatologistに近い。

こういうのもありました。「コンビニより多い歯科診療所。9万8千人の歯科医師が年収810万円も稼げる理由」。ただ、令和5年実施の第24回医療経済実態調査では、開業歯科医師の平均年収は1,515万円です。数字は信頼性の高いデータの引用をお願い致します。(令和6年7月30日)


【コラム2】「減少していく歯科医院」

美祢市内の歯科医院数は、この10年で5歯科医院が閉院して、13歯科診療所から8歯科診療所に減少しました。書店で、週間ダイヤモンド2024年9/14・21合併特大号が目に留まりました。表紙に「大閉院時代が到来」。27ページの小見出しに「歯科医師のうち3分の1が60歳以上 大閉院時代に突入」。

20数年前、北欧で起きていた現象が日本でも起き始めたようです。北欧では歯学部3校のどれかを廃校することができず、3校の歯学部学生定員をそれぞれ3分の1に減少させました。1999年にヨーテボリ大学歯学部でセミナーをしたことがあります。広い学生実習室の一部しか使用していませんでした。

日本では、政府による歯科医師数抑制政策のために歯科医師国家試験合格率は平均66.1%、50%以下の歯学部が12校もあるといいます。こういう状況では歯学部をめざす受験生は減少していきます。

歯学部が学生定員割れして、大学経営に行き詰まり、自主的に閉校するのと待つのでしょうか。早く、入学定員の削減、大学統合などの対応をされてはどうなのでしょう。(令和6年9月28日記)