私がいなかったら、この事件は、民事訴訟になっていただろうか。警察へ行く時も、弁護士事務所に行く時も、本人と両親には、大きなためらいがあった。
 時々、これでよかったのかと思うことがある。そんな時、自分の一つの経験を思い出す。私は、卒業前の学生だった。臨床実習で、ある外来診療室にいた。前にいた学生が、振り向きざまに、いきなり私の腹部を思いっきり殴った。私は、その学生とたいして話をしたこともない。なにがなんなのか、まったく分からなかった。なぜ殴ったのか問い詰める機会もなかった。その学生は私を殴ると出ていった。私は茫然として、何も言えず見送った。
 あれから20年が経って、彼は、そんなことなど、全く覚えていないだろう。だが、私は、今だに、はっきりと覚えている。あいつ、なんだったんだと思う。人に殴られるなんてことは、そんなにあることじゃない。それに対して、なんの抗議もしなかったこと、今だに、思いだしては頭にくる。
 裁判にしていないと、きっと、こんな感じになるんじゃないかと、思ってみたりする。

1.ここには、裁判の進行に伴うAさんの心境の変化について、あえて書かなかった。私の目から見ると、1年前とは、まったく別人のように思える。アルコール依存がなくなった。大食もしなくなった。明るい元気な、年相応な振る舞いの女性になっていった。黒い服ばかり着ていたが、最近は、明るい色の服を着こなしている。いろんな事があったが、今は、その姿を見るだけでも嬉しい。

2.この事件は、県児童虐待ネットワークが、有効に作動した事例でもある。顧問精神科医から顧問弁護士へと迅速な動きだった。2年前なら、こうした対応は出来なかったと聞いた。

3.この裁判は、多くの人たちにサポートして頂いた。特に、Aさんも私も、弁護士さんには、心から感謝している。この種の裁判は、弁護士さん次第で決まるという話を報道関係者から聞いたことがある。まさに、その通りだと思う。夕食もとらずに夜遅くまで、一心に集中して頂いた姿を私達は生涯忘れることはできない。

 最後に、Aさんから打ち明けられた時、私は、あまりにもひどい話に激しい怒りを持った。どんなに辛い日々だったかと、Aさんに深く同情した。繰り返された交通事故で死ななかった事を幸いと思った。
 Aさんから、事情を聞いたことは、私自身にとってトラウマとなった。入眠障害、睡眠維持困難、早朝覚醒の症状、聞いた被告との性的な出来事を思いだしたくもないのに思いだしてしまう侵入症状、沸き上がる激しい怒りの衝動に、約6ヶ月間、苦しめられた。日常の業務と家庭生活に支障がでていた。しかし、被害者本人の苦しみは、私の比ではなかったはずだ。
 この事件を通じて、こうした事件の被害女性の心の傷の深刻さを、初めて知った。また、被害女性だけでなく、御両親の苦しみ、悔しさには、想像を絶するものがある。
 こうした活動が、性暴力への理解を深めていくことを期待している。