つらい記憶を口にするのは、本当につらいことだろうと思う。加害者と闘うため、訴訟のためではあるが、そうは分かっていても、つらいものはつらいと思う。何度も何度も、瞼を泣き腫らした顔を見た。泣きじゃくる姿を見た。
 思い出しているうちに、心ここにあらずという虚ろな表情になって、呼びかけても反応せず、不気味な状態になったこともあった。最初の時、なにが起きているのか、わからなかった。「返事くらいしたら、どう」と声をかけても、反応がなかった。後日、精神科医から、それは「解離現象」だと説明された。
 大学の研究室で、陳述書を書いている時に、よく解離現象は起きた。少し落ち着くと、黙って研究室を出ていったが、なかなか帰って来ない。もしかして飛び降り自殺でもしたんじゃないかと思って、あわてて姿を探したこともあった。「窓から下の方を見ていると、飛び降りたくなった」などと、とんでもない事を言った。自殺でもされたら、大変なことだった。
 激しい頭痛を訴える。歩く時の振動さえ頭に響くという。激しい胃痛を訴える。思い出している頃の姿は、見ていても気の毒だった。そんな時は、悪夢をよく見るようになるという。漠然とした恐怖の悪夢。「夢はコントロールできないから、つらいと思います」と精神科医が証言の際に言われた事を思い出す。
 私のちょっとした言葉に、傷つき、いくら、そんなつもりで言ったのではないと説明しても、もう、だめだった。何日か落ち着くのを待つしかなかった。
 ある休日、研究室で陳述書を書くのを手伝っていた。不機嫌になって「もう、嫌になった。帰る」と言い出した。私は不愉快になって「帰るとは、どういうことか。誰の裁判か。君のだろう。嫌になった、帰ります。私は、なんのために、休みの日まで、こうして出てきているのか。それを、嫌になった。帰るとは、どういうことか」。Aさんは、黙って席について、また、書き始めた。それを機会に、私は、可哀相とばかり思わないで、言うべき時は、はっきり言うことにした。
 「地元に知られたら嫌だ。そんなことされるくらいなら、死んだ方がましだ。家族に迷惑をかける」。そう言って、ひどく取り乱したことがあった。私は、少し大きな声で「結局、君は、そこに付け込まれたんだろう!」と言ってしまった。言った後で、すぐに後悔した。そう脅されたら、どうすることもできない、言いなりになるしかない少女だった頃の彼女の気持ちが理解できた。彼女には、どうすることもできなかった。彼女を責めることはできない。私は、ジレンマの中にあった。
 この1年間、いろんな事があった。