(1)民事訴訟の進み方

 民事訴訟は、弁護士によって作成された「訴状」「準備書面」と、関係者が記載した「陳述書」などの文書のやりとりで審議が進められていく。
 文書には、原告からだと「甲_号証」、被告からの文書には「乙_号証」という番号が順次付けられていく。訴状提出から結審まで、平均すると、1年前後を要すると弁護士から聞いた。
 訴状送達の日から1〜2か月後に第1回の裁判が行われる。この時は訴状の朗読が行われるだけで、裁判官が、被告側に認否を確認される。被告側の弁護士が争う旨、裁判官に回答することで第1回は終了する。
 以後、毎月1回のペースで裁判が行われる。「準備書面」によって被告の反論が提出され、それに対して原告の「準備書面」がだされ、こうした準備書面のやりとりによって、争点を明らかにしていく。「性行為の有無」「合意か否か」「きっかけ」「期間」などが争点になる。裁判官は、争点が明らかになってきた所で、証人喚問にはいることに原告、被告、異議がないかを双方の弁護士に確認した後、証人喚問の段階に入っていく。
 裁判所での証人喚問は、診断した医師など必要最低限の証人によって行われる。その他の証人は、「陳述書」を記載して裁判所に提出する。
 第2回の裁判で、被告から訴状に対する具体的な反論の準備書面が提出されてきた。全面否認ではなかったが、こちらの主張とは「きっかけ」と「期間」が全く異なっていた。第3回の裁判で、この点についての反論を準備書面として提出した。



(2)訴訟の個別性

 訴訟は、個別性が強い。同じような事件であっても、関っている個人が異なるように、ひとつひとつに個別事情があり、強姦事件だから、こういうふうにするといったパターン的処理になじまず、そのため、他で進行している類似事件の裁判が必ずしも参考になるとは限らないと弁護士から言われた。



(3)裁判の形式合理主義

 法医学の友人S医師からe-mailで助言を受けることが多くあった。彼が言うには、裁判官は、判断に関ることは裁判官がすることだと強く認識している。人間は弱い存在であり、置かれた状況、利害関係、人間関係によって、しばしば真実でないことを語ってしまう弱い存在として考えている。そこで、形式合理性を大切にしていて、証拠の形式が整っていることが、実質を保証するための必要条件と考えている。そういう主旨の話を聞いた。D医師は、いつも冷静な判断と助言を与えてくれた。
 また、弁護士から、民事訴訟は刑事訴訟と異なり、裁判官は、原告か被告のいずれかの主張に沿って判決を書くので、裁判官の51%の支持をえられればいいのです。裁判所は、性犯罪では、訴訟を開始した原告に好意的です、という主旨の話を聞いた。



(4)関係者の証人喚問

 弁護士が証人申請をしても、必要最低限の人が、裁判官によって証人として採用される。診察した医師の証言が一番最初だった。原告の精神状態が被告の行為に基づくものかについて、専門家として意見を求められた。
 証言の数日前に、B医師に弁護士事務所に来てもらって、打ち合わせをしていると、裁判所の書記官から電話があった。弁護士は、「今、B医師に来てもらって打ち合わせしてます」と言われた。私は、打ち合わせしているなんて言っていいのですか、と訊ねると、「裁判所は喜びますよ。裁判の時間短縮になるから」。医師の経歴などは、陳述書として文書で提出された。なお、B医師の話では、証言として出廷するに際して、国家公務員の特別有給休暇として休むことができたと聞いた。
 警察関係者も証人喚問することもできるようだ。警察は民事不介入という原則と、公務員の守秘義務との問題があるが、治外法権ではないわけで、裁判所からの証人要請が、所属警察署長や県警本部長あてにすると、証人としての出廷を断るわけにはいかないと思う。
 原告の父親や母親が、証人として出廷し、親としての心情を裁判官に訴えることも行われると言う。私についても、弁護士が、証人として申請されたが、直接事件に関与していないので、今のところ、証人として認められていない。



(5)医師の証人喚問

 第3回の裁判の後、裁判官は、「争点も明らかになったので、証人調べに入りたいが、双方の弁護人に依存はないですか」と質問された。双方依存ないと回答されたのを受けて、裁判官は、「PTSDという診断に間違いがなければ、その原因としての出来事があった事が明らかになります。まず、PTSDと診断した医師の証人喚問を行いたいと思います」と言われた。
 B医師は、第4回の裁判で証人として出廷されたが、被告側弁護士からの反対尋問にも、まったく動揺する様子もなく、実に理路整然と診断の根拠を述べられた。
 反対尋問で、賠償金目当ての詐病ではないのかと質問された。それに対して、この患者には「詐病利得」はない。詐病には、話の整合性がなくなるけれども、それがない。さらに、「詐病患者」は自分が本当に死ぬような状況には、絶対に自分を置かない。必ず助かるような事しかしない。この患者は危うく死ぬような状況に何度も自分を置いている。そう証言して、きっぱりと「詐病」を否定された。
 裁判官は、B医師の証言の後、原告側に事故証明書の提出を命じられ、我々は、数通の事故証明書と自損事故については修理明細書を提出し、危うく死ぬような事故が存在していたことを裏付けた。
 診断に対する厳しさが、自分の診断に間違いはない、という確信につながっているように思えた。証言の最後に、裁判官から、「原告が法廷で証言することは、原告の再外傷になりますか」と質問されて、B医師は「なると思います」と言明された。実に見事は証言だった。
 その後、病院内でB医師にすれ違う度に、私は、自分自身のことを相談したいと思っていたが、結局、できなかった。私自身が、トラウマ(心的外傷)を負っていた。B医師も、それには気が付いていた。「先生、この頃、表情がよくなってきましたよ」と声をかけてくれたり、「あの子どうしてます」と消息を聞かれた。そうした心遣いも、嬉しかった。心からB医師に感謝している。



(6)裁判官からの提案

 原告を証言台に立たせることに際して、裁判官から原告と被告双方の弁護士に提案があった。
 医師によって、原告が法廷で証言することは、原告の再外傷になるとの意見がだされているので、できるだけ、配慮してあげたい。・法廷は通常の法廷ではなく、ラウンドテーブルの尋審室を用いる。裁判官、弁護士、書記官、速記官が円卓を囲む形で審理を行う。・もし、傍聴人がいれば、傍聴人には、席をはずしてもらうように裁判官からお願いする。・法廷の部屋の前に、何の裁判が行われているかの表示をださない。以上のような配慮が行われることになった。
 被告の弁護士に、裁判官が同意を求めたところ、原告がそういう配慮を受けるなら、被告も同じようにしてもらいたい、という提案がなされた。裁判官は、被告には医師による診断書がないわけですから、通常法廷となると思いますが、と言われ、結局、被告の弁護士は同意された。
 ある日、私は、Aさんを裁判所まで連れていき、この部屋で行われるんだよと、事前に場所を見ておいた。



(7)和解の提案を拒絶する

 第5回の裁判では、被告と原告から長文の自筆陳述書が提出された。裁判の後に、被告弁護士から和解の提案があった。「原告は、このような高額の慰謝料を、本当に求めているのか。それとも、被告の謝罪を求めているのか。被告は、すでに高齢で、年金生活者でもあり、これだけの高額の賠償金の支払いは、家土地を売却しなければ、払うことができない。和解することはできないのか」。
 傍聴席には、私とAさんのお父さんがいた。弁護士が傍聴席まで来られて、「どうします。判決までいきましょう」と言われ、私も即座に「最後まで行きましょう」とお父さんを促し、お父さんは同意された。
 後日、Aさんは、和解を持ちだしてきたのは、被告の方が不利だと思ったのですか、と聞いてきた。裁判を始めたのはいいけど、もし、負けたらどうしようという不安が強くあるようだ。被告から「お前が何を言っても誰も相手にするものか。負ける戦さはするな」と被告から脅された事が背景にあると思う。こうした男は、事件にならないように、用意周到にいろんな手を打っている。



(8)原告の証言打ち合わせ

 証言に関しての弁護士との打ち合わせは、あまり早くから行うと忘れてしまうので、証言の日の1週間前に行った。主尋問1時間〜1時間半、反対尋問1時間〜1時間半、反対尋問を受けた後の原告側弁護人からの補足、裁判官からの尋問。通常2時間から3時間程度になると言われた。
 午前中の裁判だと、開廷時間が10時だから12時までの2時間しかない。長くなることが予測される場合は、午後13時半からの開廷として16時頃まで行われ、それ以上の時間を要する時は、次回に延長されると聞いたように思う。次回と言っても1ヶ月先になるのだから、弁護士たちが詳細を忘れてしまうこともあるようで、弁護士たちとしては、次回延長を嫌い、1回で終わらせたいようだった。幸い、Aさんは、午前中の予定になった。
 本人証言は重要なので、弁護士事務所で打ち合わせとリハーサルをした。私がいるとしゃべりにくいというので、席を外して、待合室で待っていた。1時間して終り、私が部屋に入ると、Aさんは泣いていた。弁護士が「私が泣かしたわけじゃないですよ。どのくらい時間がかかりましたか。1時間ですか。ちょうどいいですね」と言われた。このリハーサルを機会に、Aさんは弁護士を信頼し頼るようになったと思う。それまでは、何か警戒していた。本当は、自分のことをどう思っているんだろうと考えていたのではないだろうか。「弁護士の姿を見ると安心する」と言うようになってきた。
 反対尋問に対しては、分からないことはわからない。はいかいいえで簡潔に答える。質問が分からなかったら聞き直す。誘導尋問にひっかからない。簡潔に明確に回答するようにと言われていたが、現実にはそんなゆとりはなかったようだ。



(9)原告証言の日に被告が現れる

 第6回目の裁判だった。これまで一度も被告は姿を現さなかった。Aさんは、私にも父親にも同席して欲しくない。話にくいから、と言った。私はお父さんに電話して、私一人で付いて行きましょうと言った。お父さんは少し不服そうだったし、実際は、少し遅れて裁判所にやって来られた。Aさんは、被告が来ないかと心配していたが、これまで来たこともないし、来れないだろうと私は思っていた。
 裁判所のロビーに座って開廷を待っていると、前に座っていたAさんの表情が変わった。「あの男がやってきた」とAさんは言った。振り向くと、こちらに気づかず、法廷のある2階へ階段を上っている大きな男がいた。「薄笑いを浮かべながら、入ってきた」とAさんは言った。明らかに怯えていた。
 私は、Aさんを連れて1階の事務官たちの部屋に向かった。担当書記官の所在を尋ねると2階だと言われた。Aさんを1階の通路の椅子に腰掛けさせ、2階へ駆け上がった。担当書記官を捉まえ、「被告が来ていて、原告は怯えている。とても証言できない。排除してくれ」と頼んだ。書記官は私の勢いに押されて裁判官室へと相談に向かった。弁護士は、まだ来て居なかった。1階に降りてAさんの様子を確認した。彼女は「お父さんに連絡して、来てもらって」と泣きそうな顔で言った。私はすぐに携帯電話からAさんの自宅に電話した。お母さんが、もうじきそちらに着く頃です、と心配そうに言われた。それから、2階に駆け上がって、被告の姿を確認した。まだ2階にいた。弁護士の姿を探した。
 開廷時間の間際になって弁護士が現れた。私は思わず弁護士の腕をつかんでしまった。失礼なことをしたと後悔したが、すぐにAさんの所に連れていった。弁護士の顔を見て、Aさんは安心したと言った。それからは、私は、Aさんの側に守るように居た。
 Aさんは、一人になって、あの男がここに来たら、どうしようと思うと、過呼吸になって息が出来なくなるかもしれないと思った、体がまだ震えていると言った。Aさんを一人で廊下に残さず、事務官室の中か、女性トイレにかくまっておけば、よかったなどと、考えたりしていた。一人では守りきれなかった。
 弁護士が戻ってきて、「被告の弁護士から聞いたのですが、被告は、原告が和解に応じないのだから、帰らないと言っているようです。被告には、傍聴する権利があって、追い出す訳にはいかないのです」。「裁判官から提案があって、今日は主尋問だけを行う。被告は、その証言調書を読んで、弁護士と打ち合わせて、反対尋問は次回に行うということにしたら、被告の権利を損なわなくても済むので、それでは、どうかということです。2回証言しなければなりませんが。私は、その方がいいと思う」。私は、「主尋問って何ですか?」と聞いた。重大な決断のように思えて知らないことを知ったかぶりしたくなかった。「原告弁護人からの尋問だけと言うことです。反対尋問を次回にするのです」。
 私は、その方針でお願いした。しばらくして、弁護士は戻ってきた。「話がつきました。被告の弁護士が被告を説得してくれて、被告は帰りました」。裁判が始まることになった。



(10)原告主尋問

 証言に先立って、偽証を行わないという宣誓書に署名捺印しているAさんの様子を法廷のドアの小さなのぞき窓のすき間を通して見た。次に裁判官が、偽証すれば偽証罪に問われることの説明が行われているようだった。声は聞こえない。Aさんは、私と御父さんがいると話しにくくなるから、席を外してほしいと言った。
 随分長く感じた。時々のぞきながら、私は、駆け付けてきたお父さんと二人で法廷の前で待っていた。お父さんは、被告が来たことに激怒していた。私は、その様子を見て、被告が帰った後に、来られてよかったと思った。会えば、裁判所内でけんかになっていると思った。裁判が終わって、裁判官が出てきた。お父さんは深々と頭をさげた。「有り難うございました」と一言、言われた。裁判官は、その言葉に少し笑みを浮かべられた。
  裁判官は、原告の証言が終わった後に、「頑張って、もう一度証言してください」と声をかけ、励まされた。



(11)原告尋問記録を読む

 1ヶ月後に、速記官が作成した尋問記録がでてきた。弁護士が、「こうして見ると、ちゃんとしゃべっているように見えますが、最初から最後まで、ボロボロでした。顔をぐちゃぐちゃにして、泣き通しでした。裁判官は、その様子を見ていますから、心象形成は有利だと思います」。
 速記録の中に「ところで、どこで、_先生は登場してくるのですか?」と弁護士から質問があり、それから、私のことが証言されていた。それを見て、とうとう、こんなところにまで名前が出てしまったと思った。
 Aさんは、速記録を読んで、途中、何度も速記官から、大きな声で証言してください。聞こえませんと注意された。聞き取れなかったみたいで、間違ってる所がいくつかあります、と言った。



(12)原告反対尋問打ち合わせ

 反対尋問の1週間前に弁護士事務所で打ち合わせをした。弁護士は、「今日は、反対尋問の練習ですから、少し意地悪な質問をします」。私は、席を外した。30分くらいして、リハーサルが終わったと言われて部屋に入ると、今回は泣いていなかった。私は「おっ、今日は泣かなかったのか」と余計な事を言ってしまい。その言葉で、Aさんは泣き始めた。
 弁護士は、私達の前で裁判所の担当書記官に電話され「明日、被告が来ないように、先方の弁護士にその旨お伝え頂き、御配慮お願いします」と申し入れをした。



(13)前日でてきた100頁の反論

 裁判の前日になって、私の携帯電話に弁護士が電話して来られた。「相手側から、分厚い反論がでてきました。今日、ちょうど、そちらに行く機会がありますから、夕方、落ち合って渡しましょう」。
 待ち合わせていると車で来られた。「先生のことが沢山書いてありますよ。先生、怒っちゃいけませんよ。このくらいの緊張感がないと、裁判は面白くない」。「明日までに反論書けるところまででいいですから、原告とお父さんに反論書いてもらえませんか。先生も、これだけ言われているんですから、書いてください」。
 私は、その資料を持って、Aさんの自宅まで車で走った。敷地だけで300坪ぐらいはあるだろう。大きな家だった。広い仏間でAさんと二人、反論を書けるところまで書き、とうとう、その夜はAさんの家に泊った。被告の100頁の陳述書は読むだけでもかなりの量があった。以前、被告の弁護士が「何をいいたいのかさっぱりわからん」と言われた事があったが、その通りだった。文章が支離滅裂で、そして、読めば、その一言一言に頭にきた。私のことを「無教養な、ただのオッサンです」と書いていて、これには、怒るよりも、吹き出して笑ってしまった。私の笑い声を聞いて、お父さんがやって来られて、私は、笑いながら「わざわざカタカナで、オッサンと書かれてしまいましたよ」と言った。
 翌朝、5時40分に起きて、玄関の鍵を開け、こっそりと出勤した。



(14)原告反対尋問、再び現れる

 反対尋問の前に、打ち合わせをした。それから、弁護士事務所と裁判所は近いために、私達は、弁護士事務所で開廷時間を待っていた。弁護士が、お父さんに「もし被告が来ても、くれぐれも暴力事件を起さないでください。裁判所内でそういうことがあると、最高裁判所まで報告しなければならないのです。首が飛びますよ。アメリカで最近、裁判所内で撃たれた事件があったでしょ。全米だけでなく、世界中に報道されたでしょ。裁判所が困るのです」。
 裁判所の書記官から電話が入った。また、被告が来ている。弁護士は、ここで待っていてくださいと言われて先に裁判所に行かれた。お父さんの顔つきが怖くなっていった。
 待っている時間は長かった。交渉がうまくいかないのだろう。私は、Aさんに「被告に傍聴するな、出ていけとはいえないかもしれない。こちらも譲歩しなければ。もし、傍聴するというなら、ラウンドテーブルに座るのではなく、傍聴席に座ってもらう。あの男の周りは、私とお父さんで固めよう。それでいいか」。私が、そういう話をしている時に、弁護士から電話が入ってきた。
 「被告の弁護士も説得してくれているのですが、被告はどうしても帰らないというので、裁判所が、マイクの声を隣の部屋で聞けるようにして、そこに被告を入れて聞かせるという提案がされて、準備もしてくれています。でも、私としては、被告が傍聴席にいた方がいいと思う。それで、どうしても証言できなくなったら、提案してくれたようなことにしたらどうですか」。その旨、Aさんに伝えると、承諾した。私達は裁判所へ向かった。歩きながら、お父さんに「睨み負けないでくださいよ」と声をかけた。お父さんは、柔道をやっていた人で、一瞬だが、にやりとされた。少し緊張が和らいだ。



(15)反対尋問開始

 第7回裁判。原告が席につき、準備は整った。予定時間より40分遅れていた。法廷の隣に小さな待合室があった。そこに紺色のスーツを着た大きな老人が座っていた。お父さんから、あの男ですかと聞かれて、私は違うように思うと言った。すると、書記官が法廷から出てきて、その男に入室するように言った。この男だった。
 お父さんは、この男の左隣に座り、終始鋭く睨み付けていた。私はこの男の前に座り、この男がAさんを見れないように遮った。振り返ると、この男、私を手で払いのけるような仕草をして、邪魔だという表情をした。お父さんは、この野郎という顔つきで睨み付けていた。まったく、睨み負けていなかった。
 裁判官が、原告に「始めていいですか。もし、きつくなったり、証言できなくなったら、言ってください」と声をかけられた。「それでは、始めます。いきなり反対尋問というのもなんですから、原告弁護人は、前回の弁論で聞きのがしたこと、なにか聞いておくことはありませんか」。
 原告弁護人「一つあります。甲27号証を提示します。これは、被告が、直筆で書いた数名の名前のメモです。このメモを見せられて、原告は被告からなんと言われたのですか」。
 原告「おとなしく言う通りにしておけば問題ないが、もし言うことを聞かないと、この人たちと私は親しいから、この人たちに頼んで、お前が学校に居られなくしてやると脅されました」。
 そこで、原告は泣きじゃくりだし、しゃべれなくなった。裁判官が「Aさん、証言できそうにありませんか」と優しく聞かれた。Aさんは、うなずいた。
 裁判官が、被告弁護人に向かって「証言が続けられそうにありませんから、別室に審理が聞き取れるようにしてあります。そちらへ被告に移ってもらうように頼んでくれませんか。被告弁護人は、そうすることに依存はありませんか」。被告弁護人「原告側から、そう依頼した旨記録に残して頂ければ依存ありません」。この被告の弁護士は、なぜか、こうしたところに協力的だった。以前の弁論の最中に、「この男は、こんなに分厚くいろんなことを書いてきたが、なにを言いたいのか、さっぱりわからん」と言われたことがあった。自分が弁護している人のことを、法廷の中で、そういうふうに言われるので驚いたことがある。
 被告弁護士と被告は廊下に出て協議しはじめた。しばらくして、二人とも入室して来た。被告弁護士「被告は退室することに同意しました」。すると、被告は裁判長の近くまでゆっくりと歩み寄った。裁判官は、一瞬ぎょっとした表情を示された。Aさんは、被告の姿が近づいてくるのを見て、うつむき、嫌だ嫌だというように首を左右に振りながら泣きじゃくった。それを裁判官は一瞥された。
 被告は、しゃべり始めた。「裁判長殿。私は、原告に対して精神的な圧力をかける意志はまったくありませんので、これで帰ります。」。そう言って、部屋を出ていった。とことん、頭にくることを言う奴だと思った。男が出ると、お父さんが、その後を追う。裁判官は、「14時20分から開廷します。」と宣言された。
 廊下に出ると、被告と父親がにらみ合っていた。弁護士が駆け付けてきた。「お父さん、ここでやっちゃいけない。落ち着いてください。」。私も止めた。すると、被告は、「あなたが、_先生ですか。」と話かけてきた。弁護士が、どうするだろうという顔つきで、私の方を見ていた。私は、一言もしゃべらず、睨み返し、お父さんと弁護士に、中に入ろうと首で合図して、入室を促した。
 しばらくして、反対尋問が始まった。私とお父さんは、席を外して隣の小さな待合室で待った。尋問は随分長かった。速記官が交代して出てきたので、まだですか、と聞くと、まだまだですよと言われた。終わった時、やっとこれで終わったと思った。
 後日、Aさんから、反対尋問が思っていたより、ひどいことを聞かれなかったので、以外だった。でも、あの答え方でよかったのかどうか不安だと言った。



(16)被告証人喚問打ち合わせ

 被告に対する反対尋問の打ち合わせを始めることにした。弁護士は、被告がカーセックスに使用した現場を見たいと言われる。「じゃあ、今から行きましょう。暗くなると、とても行けないような場所です」。弁護士は、私の次に予定していた約束を取りやめる電話をされた。
 県道から山道に入り、約1.5km、車がやっと通れるような道を走る。車体を道の両側の草木が叩く。「車体に傷がつきますよ」と弁護士が心配される。現場は、その突き当たりの行き止まりの場所。誰も来はしない。「これはすごい。実際見てみないとわからないものですね」。現場に着いての弁護士の最初の感想だった。
 山奥の高速道路のガード下で昼間でも薄暗い。車が2台くらい置けるスペースしかない。帰る時、やっとユーターンさせた。反対側は、断崖絶壁。これでは、逃げ出すこともできない。弁護士は「ここに裁判官を連れて来て、現場検証しましょうか。これは見せた方がいい」。しばらくして、「そうだ、ビデオを撮りましょう。ビデオが証拠として使えるようになったんです。あの山道から入る辺りから、助手席からビデオを撮影するのです。途中もずっと撮影しながら、原告に、案内させて。現場に着いたら、原告にここがその場所ですと説明させるのです」。内心、やれやれと思った。あの場所に連れて行くのは、Aさんにとっては、とてもつらいことだと思う。少し気が滅入った。
 結局、その日、7箇所の現場を見てまわった。反対尋問のためのイメージ作りのためのようだった。



(17)前夜の打ち合わせ

 被告証人喚問の前日の午後6時に弁護士事務所をAさんと訪れた。「被告の弁護士と電話で話したんですが、向こうの弁護士は、今回は陳述書とか出さないと言っています。明日、どういうことを尋問するか、書き出して検討していきましょう」。
 すぐに終わる口ぶりだったが、終わったのは午後10時だった。私達二人は、来る前に少し食べてきた。しかし、弁護士は、夕食もとっていない。時々、弁護士のお腹が鳴った。何か食べるもの買ってきましょうかと聞くと、「いや、今夜は家で食事を用意してくれていますから、帰って食べないと」。
 この弁護士の集中力と記憶力には、すごいものがあると、いつも関心する。いくつもの訴訟を同時に進行させていて、それぞれ膨大な情報量なのに、間違えたりされない。医学部の中には決していないタイプの人だと思う。



(18)被告証人喚問の朝

 被告証人喚問の朝8時にAさんと待ち合わせて、山の奥の現場のビデオ撮影に行った。助手席でAさんにビデオを撮影してもらいながら、山道を走った。道の両側の草や木が、車体を左右から叩く。何度来ても、嫌な場所だった。
 11時に弁護士事務所に行くと、弁護士が、相手から陳述書が出てきましたと言われた。昨日の被告の弁護士の話とは違うではないか。コピーされてきたものを見ると、また100頁近い量がある。うんざりしながら読み始めると、前回の100頁の陳述書と内容が異なっている箇所がいくつもある。弁護士「相手は書き過ぎですね」と言われた。あの男、書き過ぎて嘘の辻褄が、合わなくなってきている。
 午後1時30分からの裁判まで、わずかな時間しかない。三人で読みながら、おかしい箇所を指摘して、反対尋問の質問事項に付け加えていった。12時45分に、弁護士は「ここまでにして、食事にしましょう。あとは、私、読んでおきますから。裁判所でお会いしましょう」と言われた。私は、頭がボーとして、集中力が無くなっていた。



(19)どちらが嘘ですか?

 第8回裁判。被告弁護人からの主尋問が始まった。「不文律と定めて居た」とあるが、何のことかさっぱりわからない。説明してください。「当時、男女関係不存在の調停裁判を提訴する」とあるが、一体、何のことか? 別れる頃に裁判所に来て、こういう調停書類を書いたということか?
 主尋問なのに、まるで反対尋問の様相を呈していた。しかも、通常、主尋問は1時間か1時間半なのに、約20分で、終わりますと言われた。裁判所の書記官が、えっ!という顔をして、時計を見たのが印象的だった。
 
 原告弁護人の反対尋問は、凄かった。元検事だけあって、痛いところを突いてくる。作り話は、その場面の細かいことを聞かれるとすぐに答えられない。それで嘘がばれる。辻褄が合わなくなる。
 「あなたは準備書面でも陳述書でも、今の証言とは異なることを書いている。一体、どちらが嘘ですか?」。
 「どちらが本当か?」と聞かれれば、まだ考える気になるが、「どちらが嘘か?」と聞かれて戸惑い、回答できないでいる被告の姿がおかしかった。
 その後は、もうボロボロだった。見ていて気の毒な程。これまでの被告の準備書面や陳述書の内容が嘘ということが次々にバレていく。裁判官からも、鋭く追及される。弁護士二人と裁判官から、ボロボロにされていた。被告の弁護士は、これまでも、私達に好意的だったが、今回は、本当に被告の弁護士なのか、どうなっているのかと思ってしまった。

   裁判官  「被告弁護人は最終弁論で何か言うことはありませんか?」
   被告弁護人「別にありません」
   裁判官  「一応、1時間とっておきましょう」
   以上のようなやりとりが、裁判の後にあった。

 原告反対尋問の1ヶ月後に、原告証人調書が出来上がってきた。それを読んで、私は、反対尋問の様子を初めて知った。被告の弁護士は、なるほど、きつい事を尋問していない。これが反対尋問なのかと、不思議な気持ちがした。原告に好意的とも受け取れるような尋問が多かった。裁判官からの尋問も原告に好意的なものだった。
 被告の弁護士の態度に司法関係者の良識を見たような気がする。必要な弁護はするが、無理に無罪にしようとはされなかったように思える。



(20)被告証人喚問の後で

 裁判が終わるのを、Aさんは裁判所から離れた所で待っていた。証言によって次々に嘘がばれていく様子を聞かせると、随分嬉しそうに、もっと他にはありませんか、思いだしたら教えてくださいと聞いてきた。顔が生き生きとしている。
 「やっと、これで私の気持ちを裁判官は分かってくれた。被告の弁護士は私の弁護士みたい。私には弁護士が3人ついているみたい」。



(21)ちょうど1年

 裁判の翌日、弁護士から電話が入った。「勝訴は間違いありません。被告が提出してきた陳述書に対する反論は、もう書かなくていいです。裁判官は、求めたりしないでしょう」。
 私が事情を聞いてから、ここまで、ちょうど1年かかった。裁判は平成10年秋に結審し、年内に判決がでると予想されている。