(1)打ち明けられたきっかけ

 交通事故で怪我をして、若い女性が、友達に連れられてやってきた。来た時には顔も服も、まだ血に汚れていて、少々驚いた。聞くと、過去1年半くらいの間に、5回交通事故をしていた。これが6回目だと言う。それも衝突事故ばかりで、救急車で搬送されたこともあると言う。「時速120kmでカーブに突っ込み壁に激突したことがあります」。そう聞いた時、なにか、おかしいぞという予感のようなものがあった。
 受診してくる度に、少しづつ、なぜ、そんなに交通事故を起していたのか、その理由を聞きだすような会話をもつようにしていた。
 ある日、彼女は、私の質問に「先生、本当に聞きたい?」。そう言って、うつむいた。その横顔が、とても暗い。これ以上聞くと、とんでもない事を聞くような予感がした。彼女を見ると、目から大粒の涙が溢れていた。なのに、泣き声もだしていない。
 それからしばらく経ったある日「男に脅迫されていた」とAさんは言った。その前後の会話は、よく憶えていない。ただ、「脅迫されていた」と聞いて、私はひどく驚いた。私は、Aさんに研究室まで来てもらって、もう少し詳しく話をしてごらん、と言った。Aさんは、その日は、あまり話さなかった。
 それから何日かして研究室にやってきた。「3Pさせられたことがある」とAさんはポツリと言った。私は、3Pの意味が分からなかった。「3Pって何?」と聞くと、「あの男が、テレクラを使って知らない男を呼び出してきて、男二人にさんざん気が済むまでセックスされたことがある」。そう言うと、泣きだし、泣きじゃくりながら、嗚咽しながら、堰を切ったように、しゃべりだした。
 私は「もう全部しゃべってみなさい。聞いてあげる」。そう言いながら、泣きじゃくる彼女の背中を見つめながら、話を引きだそう、聞きだそうと、質問を続けた。私は、その日、Aさんが死にたがっている事情の概略を把握できた。
 私は、抜いてはいけない大きな水がめの栓を、誤って、抜いてしまったような気がした。



(2)私自身のトラウマ

 Aさんから話を聞いた時、私は、高層ビルに備え付けられた外の景色が見えるエレベーターに乗って、外を見ながら一気に1階まで急降下する時、下腹部から胸の方へ、心の中を何か冷たいものが走り抜けるような感覚。その感覚に襲われ、そして、それから1週間、その感覚は、私から離れなかった。
 その夜から、私は眠れなくなった。異様に興奮していて、強い使命感と高揚感があった。眠れないので、明け方近くに大学の研究室へ行って、Aさんから聞いたことを、ワープロに打ち込んでいった。あまりにもひどい話だった。
 入眠障害、睡眠維持困難、早朝覚醒。午前3時頃にウトウトとして、すぐに目が覚め、もう寝つけない。早朝4時頃に大学へ行き、ワープロに向かう生活が続く。聞いたことを書く。出すあてもない手紙を書く。自分の心情を書く。ワープロに向かっていないと気が済まなかった。
 これでは、体が参る、とにかく酒でも飲んで寝よう。私は、ブランデーの栓を開け、コップでがぶ飲みし、意識が無くなるまで飲んで眠た。翌朝、通勤途中で何度も車を止め、吐いた。さんざんな一日だった。こうした日々が、約1週間続いた。今にして思うと、あの頃、精神安定剤か睡眠導入剤を服用すればよかったと思う。
 毎日、思いだしたくもないのに、四六時中、Aさんから聞いた場面を想像してしまう。そうなると、頭の中は、そのことばかりになって、仕事が手に付かない。衝動的に激しい怒りが込み上げてくる。復讐幻想まで出てくる。鉄パイプであの男の頭をグチャグチャに潰したくなる。70歳前後の男の患者をみると、それでまた思いだしてしまい、無性に腹がたつ。高揚した使命感にとりつかれている。一日中、こうした考えにとりつかれている。この状態が、それから約6ヶ月間続いた。