ここに記載したのは、実際に民事訴訟を開始していった時の個人的な体験談です。私は、法律家ではありませんから、法律の専門家からみれば、間違った事を書いている可能性があります。最初に、そのことを、お断りしておきます。また、Aさん(私が関わった女性)を特定できないように、事実関係を若干変えて記載しています。
 Aさんから事情を打ち明けられた時、どうしていいのか、どこに相談したらいいのか、まったくわかりませんでした。こうして書き残す理由は、司法にまったく縁のなかった私が、迷いながら歩んだ経験を語ることは、次の人にとって、大きな参考になるように思うからです。
 当初、「訴訟編」として、マニュアル的に書いていたのですが、一般化しようとしても無理だと思いました。私は、開き直って、「奮戦記」としました。お陰で、実にすっきりしました。

 なぜ、ここまで関ったのか? 最初の頃は、Aさんの立ち直りのためだと、思うようにしていました。思うようにしていたというのは、他の理由もあるのですが、それが、何か自分でもよくわからなかったのです。時々、Aさんから「先生は自分の怒りのために裁判をしている」と言われました。ただ単に、Aさんのためという理由だけではなかったのは、わかっていました。でも、他人のためにここまでする理由は、怒りだけでは続かないし、説明できないのです。
 最近、時間が経って、これまでの経過を冷静に振り返り、自分に正直になれるようになりました。この「奮戦記」を書きながら、気持ちがまとまり始めました。

 なぜ、ここまで関ったのか? 正直なところを申し上げます。私は、話を聞いて、まず、頭にきたのです。最初は、自分の怒りが原動力です。ですが、それだけではないのです。理解しがたいかもしれませんが、激しい怒りとともに、当初から、眠る時間が惜しい、寝ている場合じゃないというような高揚感と使命感のようなものを持っていました。Aさんのためというより、こんな男を世の中に放っておいていいのか、という社会的な使命感です。そんないくつかの感情が、混じりあっていると思うのです。

 Aさんと共に、随分苦労しました。裁判は1ヶ月に1回のペースですが、被告からの膨大な量の陳述書に対する反論を書くことだけでも膨大な時間を費やしました。時間だけなら、まだ許せるのですが、その話題に触れることだけでも再外傷になるような出来事についての反論を書かなければいけないのです。Aさんにとっては精神的につらいものがあります。その側にいる私もつらい毎日でした。被告からの文書をAさんと一緒に読み、反論を考えました。弁護士事務所での打ち合わせは、弁護士、Aさん、私のいつも3人で行いました。証拠集めに奔走しました。私は、この1年間、いつも裁判のことで頭の中は一杯という状況が続きました。私の仕事にも家庭生活にも支障がでていました。そんなふうに大変な1年間だったのですが、私は、後悔していません。

 なぜ、後悔していないのか? 裁判の進行に伴って、Aさんが、いい方向に変わっていく姿を見たからだと思います。20歳までに死にたがっていた人が、今は、生き生きと働いています。こんなことがあったと、仕事の話を聞かせてくれたりする時、それが、たとえ仕事のグチであっても、つい、にこにこと聞いてしまいます。そうした姿を見るだけでも嬉しいのです。
 だから、私は裁判を始めて心から良かったと思います。もし、ここに、もう一人、別の人から打ち明けられたとしたら、私は、迷うことなく、裁判を始めることを勧めます。そして、今度は、もっとうまくサポートしていきます。