マルメの街の中の建物。

この街を歩いていて、乳母車を押している若い男性にであった。

道がわからなくて、駅はどこかと聞くと、歩いていける距離じゃないといわれた。

父親だろうが、一人で乳母車を押してる姿は、日本人には奇異にみえる。

タクシーでも?と思うのは間違い。この街は自転車利用者が多い。乗っていた列車が駅に止まる度に、その駅前には自転車がたくさん置いてあった。

日本の駅前の自転車よりも多い印象をもった。
結局、マルメ駅まで歩いた。

エーデンでは、ヨーテボリ大学歯学部とマルメ大学歯学部でセミナーをした。

ヨーテボリ大学歯学部は世界的にみても最大規模の歯学部ではないかと思う。

前方に見えるビルと同じものが、こちらにもあり、そこから撮影した。

二つのビルの間が診療室である。

スエーデンは、歯科疾患の減少から国内に3つある歯学部の一つ、マルメ大学歯学部を閉校しようとした。

学生募集を2年間行わなかったが、政治的理由から閉校は止められた。

その代案として、歯学部の学生定員を1/3に減少した。120名が40名になったのである。

左の写真にはがらんとした診療室が並んでいる。それぞれが、学生用の診療室である。

1/3に学生が減ると、こういうさみしい状況になる。

歯学部の教官数は減少することなく残る。経済的には、歯学部を一つ閉鎖する方がいいし、教える教官の方も、かなりやる気をなくしているように見えた。


左の写真が、学生用の診療室である。日本を除く、どの国でも学生に治療させているのである。

かつての日本、私たちの世代までは学生時代に診療していた。抜歯もしていた。

それが医療訴訟の問題がでたとたんに、学生は見学だけとなった。医療訴訟は米国の方がはるかに多いのに、米国では学生に治療させていて、日本では、ぴたりと止めた。

左の診療室は、教官用の診療室である。学生よりも広く、電子カルテになっているのがわかる。

この大学には、世界の超一流から転落した、さみしさしか感じなかった。

●マルメ駅には、Rosenquist教授が迎えに来てくれていた。

「今朝は車で来ていなかったから看護婦の車を借りてきた」。

ヨーテボリ大学の近代的な建物と違ってマルメ大学は森の中にある。

左の写真はマルメ大学医学部・歯学部のすぐそばである。左の森の中に、建物が点在している。

昔は看護婦宿舎だったという建物が、今はホテルになっている。入院家族の人たちが利用できるようにしてある。

そのホテルの隣の建物は、「手の外科」の病棟だった。

マルメ大学歯学部は、PBLという学生主体の教育を開始して、廃校から免れた。

年間40週、各週の初めに一つのテーマを与えて金曜日にその報告会をさせる。簡単にいうと、そういうシステムである。

Rosenquist教授は学内に学生を見かけなくなったと言った。大学に来ても講義がないのである。

しかし、この教育方法は程度の差はあれ世界中に広がり始めている。英国ではダブリン大学歯学部が熱心である。

左の写真はマルメ駅。この近くからデンマークへの高速船がでる。今は、橋がかかったそうだ。消費税の安いデンマークにスエーデン人は買出しにいく。